昨今の、新型コロナウィルスの状況が日に日に変化し、不安的な気持ちやストレスを抱えた人も多いかと思います。
人類史をみると、感染症という人類がこれまで向き合ってきた見えない疫病と共生してきました。『感染症と文明–共生への道』では、感染症と人類の関係を文明以前の人類からさかのぼり、紐解いている一冊です。
ペストやスペイン風邪のような大規模でなくても、局所的なところで起きているものも含めれば、人類はつねに疫病と相対しながら、共存共栄を図るために適応してきた生物だということが伺いしれます。
特に、転換点となったのは「農耕の開始」「定住」「野生動物の家畜化」と指摘。時代とともに常に新たなウィルスが発生するなか、本書のなかで「共生とは、理想的な適応ではなく、決して居心地よいとはいえない妥協の産物なのかもしれない」と書かれています。仮に居心地のよくないものであっても、共生なくして人類の未来はないということを前提に、人類社会の未来を構想していくべきでは、と著者は述べています。
感染症という見えないものに対して、我々はそれに「打ち勝とう」と思うのではなく、これまで人類が常に共生を図ろうとしたウィルスが「いる」ということを踏まえて、いかに想像力を働かながら生きていくべきなんだと思う。だからこそ、公衆衛生における手洗いやワクチンの重要性など、医療の充実こそが社会インフラとして重要なことであることを、今まさに私達は実感していることでしょう。
そして、いつ終息の目処がつくかわからない中において、自粛や行動の制限、見えないものに対する恐怖への精神的なストレスにも私達はさいなまれています。それを解消するために、エンタメ、文化芸術といった文化的な営みや、人が持つ他者への思いやりや信頼関係に基づいた関係構築だろう。
國分功一郎氏は、『暇と退屈の倫理学』では、こう記しています。
”人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られなければならない。”
『暇と退屈の倫理学』國分功一郎
感染症と共生する社会において、この言葉はますます実感できるものといえるだろう。
しかし、日本では、イベントの自粛要請や中止といったことが行われるも、補償や補填もないまま、事業者や個人事業主の自己責任のもとに必ずしも生活必需品や日用品といった生活インフラではないものが、社会的な支えもなしに急に切り捨てられているのが現状です。
仮に、今の状況が終息し、一定程度の落ち着きを社会が見せ始めるようになったとして、再起できるための土壌はできているだろうか。文化は、水道の蛇口のようにひねったらでるものではなく、いわば、バラのように日々の手入れをしてこそ、意味がでてくるものです。
人はパンだけで生きるべきではありません。しかし、野原に、公園にバラが咲いてなければ、私達は、どのようにしてバラを求めればいいのでしょうか。
崩壊したソビエトを研究したドミトリー・オルロフ氏の「崩壊5段階説」では、「現状で信頼しているものが特異的なレベルで失墜する段階に応じた崩壊の5段階を関連付けたもの」と記しています。
第一段階:金融の崩壊
平常どおりのビジネスという信頼の消失され、金融機関の破綻や預金が一掃され、資金調達が難しくなる。
第二弾階:商業の崩壊
「市場による供給」という信頼が失われる状態で、通貨が減価したり希少なものとなり、商品価値の高騰やサプライチェーンの支障が起きてくる。生存する上での必需品が広範囲で不足する状態が常態化していく。
第三段階:政治の崩壊
「政府があなたの面倒をみてくれる」という信頼の消失し、生活必需品が入手困難な中、それを緩和するための公的措置が行われない、もしくは公的措置においても効果があまり発揮されず、政府の支配層が正当性や存在意義を失ってくる。
第四段階:社会の崩壊
政府や権力など、公的措置への代替策としての慈善団体やコミュニティが次第に機能しなくなり、「周囲の人があなたを気遣ってくれる」という信頼が消失していく。
第五段階:文化の崩壊
人間の善良さへの信頼の消失し、「親切さ、寛容さ、思いやり、情愛、正直さ、もてなしのよさ、同情、慈悲」といった能力を失っていく。家族はバラバラになり、希少な資源をめぐって骨肉の争いになっていく。
オルロフ氏は「商業の崩壊は製品やサービスといった物理的な流れの撹乱から生じ、その結果、政府がもはや市民に対する責務を果たせなくなると、続いて政治の崩壊が起こる」と指摘。
続けて「第1段階と第2段階の崩壊を食い止めようとする試みは、おそらくエネルギーの無駄に終わるだろう。しかし、第3段階、そして第4段階を食い止めることに毅然として取り組むことは万人の利益となる。最後の第5段階を避けることは、単純な死活問題にすぎない」と語っています。
この崩壊は、国や社会全体の崩壊プロセスモデルですが、このプロセスを踏まえるに、いかにしてこの崩壊の段階を早めに解消していくかは、現在、そしてこれからのポストコロナ時代における社会システムを構築する上において大いに参考になるものではないでしょうか。
第4段階、もしくは第5段階になってしまうと、それはひいては社会全体の崩壊、人と人とか信頼し支え合う共生社会の崩壊にもつながります。いわば、人はバラすら求めず、パンのみを求め続け、互いに疑心暗鬼となった殺伐とした社会へとなってしまうことを意味します。
だからこそ、政府がすべきことは、この段階の下、つまり第5段階から重点的に支えていくための施策が求められます。それは、例えば、一律的な給付や、文化、芸術、スポーツ、エンタメといった分野、非正規雇用やフリーランス、社会的な弱者の人たちが安心して暮らせるための一律給付や補助、補填といったものです。
また、妊婦や障害者などの立場の人たちは、健常者以上に感染症に対して免疫力が低下するだけでなく、ただでさせ外出自粛や行動制限が行われることで、日常の生活そのものが立ち行かなくなる人達でもあります。そうした立場の人たちも含めて、ウィルスの広がりによって、直接的、間接的に影響を受けたすべての人達への保護を第一優先とすることが政治のやるべきことなのです。
現状のような緊急事態においては、ターゲットを絞るのではなく、まず先にまんべんなく配布し、そこから追加手段として段階的な方法やより具体的にターゲットを絞った政策という、第2、第3の政策を速やかに打ち出していくべきなんです。
経済を止めることなく、けれども、人として、人が自由に生きられる社会に必要な種を撒き続けていくために必要なことをまず先に打っていく。
同時に、精神的なストレスや不安な気持ちを解消し、事態が終息に向かい段階になったら、即座に再起できるような文化に対する社会的な支援を打ち出していくこと。その先には、人と人とが互いに信頼し、安心安全に生活でき、社会を崩壊に導かないために必要な措置なんだと思います。
そして、私達一人ひとりができること。それは、ぜひ、部屋の中に花束を飾ろう。絵を飾ろう。本を読もう。音楽を聞こう。あらゆる文化的な営みは、私たちの心を癒やしてくれます。