パソコンの写真を整理してたら、2016年の6月にPersonal Democracy Forumというカンファレンスに参加してたときに見つけた、トイレの張り紙の写真を発見したので、ちょっとブログに紹介したいと思います。
カンファレンスの会場であるNYUにあるトイレの看板にある、いわゆる男性や女性の表記がされているところの上に、A4でおそらくプリントした張り紙がしてあった(しかも、ハサミかカッターで切ったのだろうか、若干斜めになっているあたりのが面白い)。
その張り紙には、3つのピクトグラムが描かれてある。男性、女性のピクトグラム、そして半身が男性、もう半身が女性になっているちょっと変わったピクトグラムだ。その下には、こう書かれていました。
”Anyone of any gender identity / expression can use whichever restroom with which they are most comfortable.”
つまり、あなたにとって最も最適だと思うジェンダーのトイレを自由に使っていいよ、という張り紙なんですね。心理学において、セクシャリティを「性的指向」「生物的性」「性自認」「社会的性役割」という4つに分類していて、これらの多様な構成要素をもとに個々のジェンダーやセクシャリティが確立されていきます。こうした複雑な構成要素を受け止め、それぞれの多様なセクシャリティを受け入れる取り組みを、こうした一枚の張り紙で解決していることをみて、これこそデザインだな、と痛感しました。
日本でも、近年ではLGBTQの議論や取り組みが増えてきました。そのなかで、誰でも自由に使っていいトイレ(つまり、All gender トイレ)というものがでてきたりしています。けれども、そうしたハードな施策ではなく、こうした一枚の張り紙一つで、使う人の誰もがその趣旨を理解し、そして、どんな人がトイレを利用しても構わないマインドセットを持つことができます。
こうしたセクシャリティに関することは十把ひとからげで解決するものでも、きれいにセグメントできるものでなく、多様なグラデーションのなかで私たちは生活しています。そうしたものを、人が決めた尺度ではなく、自分自身において決定し、行動し、他者をそれをいかに受容していくかなんだと思います。
この張り紙をみたとき、いわゆるストレート、ノーマル、ノンケな人であっても、改めてはっと考えさせられることがあるかもしれないし、同じトイレを使う人がどんな人であっても、驚くことなく受け入れることができるような気がします。冒頭で、雑にA4に切った張り紙だと紹介したけれども、こうしたピクトグラムと張り紙をさっと作り、日常のなかで当たり前のように使っているシーンがあることのような大事な気がします。セクシャリティな問題は非日常ではなく日常的なものとして私たちの身近なところにある。そこにある見えないものを感じ取り、見えるようにするために何ができるかを考えていきたいものです。
そういえば、セクシャリティとは少し離れますが、2016年に開催されたリオのパラリンピックの紹介動画は、Channel4が制作し、前回のロンドンパラリンピックから続く「Superhuman」をコンセプトにした内容でした。
人の多様性、個性を認め称えること。誰もがなにかのマイノリティであることを理解し、すべての人の違いをわかりあおうとする社会であってほしいことを意図している動画でした。
挿入されている「Yes, I Can」のオリジナルは、1978年の Sammy Davis, Jr.によるものです。Sammyは黒人の公民権運動にも参加した人物として知られています。曲もメッセージ含めて、この曲をこのパラリンピックの動画で挿入している意図が伺えます。
多様な人のあり方を受け入れる、成熟した営みをつくるためにできることを考えていきたいものです。