2013年の年末に書いたブログの内容が、この2,3年近くずっと頭の中に残っている。2014年の5月には、こんなブログも書いていた。
自身で書いたことがきっかけとなり、そこから「いかにして、終わらせるか」「どう閉じるか」を考えるようになった。
そんなことを周りに言うと、「終活?」と聞かれることがある。もちろん、人の人生の終わりを考えることも一つだが、それだけではない。例えば、組織や法人、時にはプロジェクトの閉じ方もその一つだ。
会社組織やプロジェクトは、そこには何らかの目的やゴールが存在し、それに対して人が集い行動することにある。であれば、目的やゴールを達成した場合には、解散することもある。しかし、多くの組織などは、次第に硬直化し、既得権益化のなかで存続していくことに次第に重きを置き始める。それは、なにかしらの賞やフェスティバルなどもそうだろう。きれいにたたみ、スムーズな終わり方をするプロジェクトもあれば、最後がぐだぐだなものも時にはある。
組織そのものだけでけでなく、組織内部でいえば、社長職などの交代も、閉じ方、たたみ方の一つともいえる。自身の保身に走るのではなく、組織の新陳代謝や下の世代に対してバトンを渡そうとする考え自体も、自身の現在の立場をきれいに終わらせ、次へのスタートを踏み出す体制を作ることでもある。
他にも、都市のたたみ方もある。饗庭伸氏が「都市をたたむ 人口減少時代をデザインする都市計画」という本をだしている。建築家・藤村龍至氏は「縮小型の都市デザイン」という考え方を言及している。「消滅可能性都市」という言葉が飛び交い、そのなかで地方創生の動きが全国で活発になっているなか、はたして現在の自治体機能や都市機能を維持することができるのか。どんな都市や地域も、終わりが来ることはあるはず。既存の仕組みに縛られること無く、きれいにソフトランディングさせてあげることも、「都市をたたむ」ための一つの選択肢でもある。
こうした終わり方、閉じ方、たたみ方をきちんと設計できるかどうかは、これからの重要な価値観にもなってくるだろう。遺言などの生前での意思があるときの棚卸し、組織の内部でイノベーションをスムーズに起こすための世代交代やコーポレートガバメント、プロジェクトデザイン、などなど。終わりを考えることは次への始まりを考えることでもある。都市全体のグランドデザインを考えるときも、かつての高度経済成長をもとにした都市計画ではなく、人口減少なども踏まえたゆるやかな減衰を意識することが求められる。
と、まあ、そんなことをつらつらと考えながら、最近ではそんなことをこの数年考えていて、そろそろこれらの考えをきちんと言語化しなくては、と思っているところ。