消費者から愛用者へ

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伝統を伝統のままにするのではなく、変化をしながらもそこにある本質は変わらないままにしていくことも、時には必要なのかもしれない。

技術や伝統は、それまで培ってきたその地域の歴史に強く紐ついで育まれてきた。

かつて、各地で取れる海の幸や山の幸は、気候や風土に沿って様々な形や大きさなどの種類が存在し、職人は、その食材に合わせた包丁や調理道具を仕立てていたという。野菜や魚をうまくきれいにさばくために、それこそ刃の長さや形状、柄の長さや大きさまで、一言で「包丁」といっても、北は北海道から南は沖縄まで地域が変われば包丁の形も千差万別だった。

そのため、各地にはその地に根ざした職人がいて、包丁を作るだけでなく、包丁研ぎをしながら、依頼に来る住民の人たちとコミュニケーションをしながら、使い方の指南や、もっとこうしたらいいよ、といった会話がやりとりされていた。

職人と定期的に会う住民も、日々の調理のなかでの疑問点も職人と対話することで解決され、その経験や知識がまた日々の生活に生かされるという循環が起きている。時には、おばあちゃんからお母さんへ、世代を超えたやりとりを通じて、伝統料理が継承されていく。包丁を買っておしまいではなく、包丁の手入れという対話を通じて、そこから紡ぎ出されるものがあるようだ。

いまや「万能包丁」という名の画一化された包丁一本あればいい、という感覚が広まってきている。安かろう悪かろうで、買った包丁を手入れすることなく、また新しい包丁を買う。かつての職人との対話なんて今はなく、次第に技術も職人もいなくなっていく。

どんな技術も、それを継承する職人や、その技術をもとに使う人がいなければ次第に衰退していってしまう。工業デザイナーの秋岡芳夫は、戦後の大量生産大量消費社会に対して疑問を呈し、「消費者をやめて愛用者になろう」という掛け声のもと、「1100人の会」を提唱した。

1100人とは、作り手100人がいればその周りには使い手1000人がいて、その1100人によってその地域の暮らしや技術や継承されていく一つの経済圏が確立される、という考えだ。良いものを長く愛し、「誂え」ることの大切さを問いた。

身近にある道具やモノも、そこには作り手なりの考えや思いが込められているはずだ。作り手と使い手のより良い関係を考えるうえで、使い手である私たち自身が、もっとモノとの向き合い方を考えなければいけない。