温泉街から想うこと

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このブログは、長野の上田で書いている。何故かというと、この年末は12月27日から31日まで、上田にある霊泉寺温泉の松屋旅館でゆっくりと過ごしていたのだ。

今年一年を振り返ると、個人としては「悩」む一年であった。仕事のあり方もそうだし、今後の自分の身の振り方やあり方を考えるような期間だった。同時に、世の中が色んな意味で変化や出来事が起きるなか、未来に向けた視座と展望を見据えながら、どう振る舞っていくべきかを深く考えることが多い一年であったような気がする。

そうした一年を振り返りながら、いま執筆しようとしてる書籍も踏まえながら、2017年やこの先5年、10年をどう過ごすか、自分なりに考えを整理する時間がほしいとふと思った。そのために、静かに身体を休めながら思考を巡らせるために温泉街に行こうと考えたのだ。

当初は一般的によく知られている温泉宿を探していたのだが、如何せん年末年始はどこも一杯で、なかなか予約が取れず、「さて、どうしたものか」と考えあぐねていたところ、「霊泉寺温泉」なる場所を上田で発見した。

「『霊泉』とは、なんだが霊験あらたかな名前。さぞ、すごいところなんだろう」と思ってたが、調べてみたところなんだか寂れた温泉街の様子。多くの人たちが想像するような温泉街と違い、お土産屋も喫茶店やレストランもなく、山奥に流れる川といくつかの温泉街、そして民家が立ち並ぶだけの場所のようだ。

そもそも、実は長野に訪れたことがなく、上田といえば今年の大河ドラマ『真田丸』で盛り上がっているところや、映画『サマーウォーズ』の舞台になって、山々が立ち並ぶ自然豊な場所というくらいの知識しか持ち合わせていなかった。上田の温泉といえば、別所温泉や鹿教湯温泉が有名だが、そのなかにあって秘湯っぽさを醸し出しているのが、霊泉寺温泉のようだった。

「寂れたところだからこそ、ゆっくり温泉に浸かれるし良いかもしれない」。そう思い、意気揚々と旅館を予約。ほとんどの温泉宿は年末の予約が難しかったが、ここは予約がスムーズで、かつ値段もリーズナブルだったのだ。

当日は、午前中に仕事の取材を終わらせ、家に帰った後に着替えやら資料や書籍を抱えて新幹線に飛び乗る。上田駅に到着したのが17時頃だったこともあり、陽も沈み薄暗くなってきたところ。次第に雨や雪も降り出し、身体に寒さがこたえはじめてきた。

上田駅に着いたタイミングくらいで、旅館に電話で「いまから上田駅からのバスに乗っていくので、バス停に到着するのは18時半頃だと思います。なので、旅館に着くのは19時頃かもしれません」と連絡すると「それでしたら、バスが着く頃にお迎えにあがりますね!」と女将さんらしき人が答える。

「そんな、わざわざすいません、、」と、電話越しについ言ってしまった。そもそも旅館が迎えに来るのか!と、驚かされたのだが、その理由は後からわかることに。

上田駅から鹿教湯温泉行きの千曲バスで揺られて約1時間。国道254号線沿いの宮沢というバス停に降り立つと、そこから山沿いの道へと続く分岐点がある。そこにある「霊泉の脈を探らんと欲すれば流れをきりて左辺へ向かえ」と書かれた石の道標がある。そこから2キロほど進むと、霊泉寺温泉がある。

と、「2キロ」とさらっとあるが、つまりはバス停から2キロほど離れたところに温泉街があるということ。歩くと30分くらいはかかるだろう。Google Mapで見てる限りだと「まぁ、多少遠いけど歩けるかな」と思ったが、よくよく見るとかなりの山道。雪もかなり吹雪いてきて、キャリーバッグを引いた身としては身に堪える場所だと実感した次第だった。

ちょうどバス停を降りた頃くらいに、バス停近くに泊まっていた軽自動車から一人のおじさんが降りてきた。先の旅館への電話のとおり迎えにあがったのだ。おかげさまで、寒い山道を歩くことなく、車で送迎されて5分ほどで旅館に到着。無事に霊泉寺温泉に到着したのだ。

霊泉寺温泉の由来は、平安時代末期に平朝臣維茂という武将が信州の戸隠山に住む鬼女退治のためにやってきた(謡曲や歌舞伎の『紅葉狩』にてその物語が語られている)ことがきっかけだ。戸隠山の鬼女退治後、丸子にいる柏木の鬼退治で傷ついた山道で湯煙とともに湧き出た湯泉を発見。湯に浸かると、傷ついた維茂の身体が日を追うごとに回復し、以前にも増して強靱な金剛のような強い体になったとのこと。そこから、維茂はその霊験あらたかな湯のために建てられたのが金剛山霊泉寺だそうだ。

しかし、その後1877年の火事で霊泉寺の大半が消失し、記録などが残っていないため、詳しい開湯はわかっていないそうで、先の平安時代の話も諸説あるうちの一つのよう。火事以降は、静かな湯治場として広く愛された場所となっている。

こうした歴史がある温泉地なだけに、建物はどれも年季が入っている。しかし、どこか懐かしく、親戚や実家に泊まっているような居心地が良い旅館に、自然と身体を休める気持ちがでてきた。あと、当たり前かもしれないけど、インターネットは旅館にはないし、スマートフォンの電波も悪く、ウェブサイトを開く気持ちに全然ならない。

こうした人里離れた場所で、自身と向き合い、目の前にある大量の書籍に没頭して向き合う時間って果たしてあっただろうか、と考えると、自然と頭がクリアになってきた。

温泉も、熱くもないほどよい加減で、くつろぐに最適。名前の由来の通り、肌や身体の調子も次第に良くなるほど、身体に染み入る温泉の具合である。建物や露天風呂、豪華な温泉施設などの派手さはないものの、日常的に温泉と過ごすことで心身ともに健やかにさせてくれるものなのだろう。温泉街には200円で入れる共同浴場もあるのだが、旅館に内湯もあるので、朝晩の二回入りながらゆっくりとくつろぐことができた。初日二日目は、当該旅館に宿泊してるのは一人だけで、なんだか旅館や温泉街全体を独り占めしてるような感覚にも陥っている。三日目になり、やっと何人かの宿泊客が訪れ、浴場で鉢合わせになってびっくりしたくらいだ。

料理と配膳も心づかいを感じさせられた。料理は朝晩の二回を用意してもらったのだが、どれもお手製で、かつ品数も10品目以上はある。しかも、どれも同じ品は出ることなく、ちょっとした手間や工夫を重ねた料理ばかりがでてくる。豪華なものというよりも、山々で取れた山菜や川魚をふんだんにつかった料理で、どれも美味しくいただくことができた。

食事の際に女将と一言二言交わすなかで、少しばかり残した料理やあまり手をつけなかったものを記録し、次に出す料理ではそれらを考慮した配膳をしていたように思える。食事を重ねるにつれ、こちらの食べたい量を調整した料理の具合がでてきたくらいだ。他にも、配膳のタイミングもこちらの都合を踏まえた上で時間調整をしたりと、微細ながら相手に気づかれない配慮が所狭しと感じさせられた。これらはサービスとしてしているというよりも、宿泊者に対してどう居心地の良い空間を提供するかを自然と会得し、振る舞っているからこそなのだろう。チェックアウト時には、信州りんごもいただくなど、田舎らしい旅館だった。

霊泉寺温泉の各旅館で配っているリーフレットの見出しには、こう書いてある。

「なんにもないけど、なんだかいい、って、よく言われます」

「ない」ということは一体何を指すのだろうか。今の時代、「なにもない」ことが果たして価値を下げるものなのか。仮にそれが、物質的な意味合いであれば、たしかに、豪華絢爛なものも、賑やかな街並みやお土産などの名産品は「ない」かもしれない。けれども、人が感動したり落ち着いてくつろげたりするのは、なにも物質的な意味だけではない。そこにある自然や小川のせせらぎ、空気の澄んだところで日々の喧騒から離れたところで、ゆったりと落ち着いてみることで、普段考えないことを考えたり、物思いに耽ったり集中しての執筆作業や今後のことを考えるのに、ある意味で最適な場所ではないだろうか。先にあげた心づかいは、目に見えるものではないものの、一度体験した者だからこそわかるものだ。そうした一つ一つの所作の積み重ねが、その旅館の歴史をつくり、今なおリピーターやファンがいる証拠なのだろう。

現代のような、サービス重視や声高に自分たちがやっていることを表現するのではなく、こうした相手に気づかせないような配慮や振る舞いにこそ、その精神が感じさせられるものだ。

結果的に、4泊ほど宿泊させてもらったのだが、日を増すにつれてそこにある自然やゆったりとした時の流れを感じるようになった。日々、自分が見ている世界の小ささや、世の中の雄大な在りようを感じることができ、自分自身のやるべきこと、日々見据えるべきものを改めさせられた。なんだが、こうして一人でゆっくり時間を過ごすの久しぶりだな、と感じると同時に、こうした孤立、孤独な時間の大切さを実感した。

人や物が溢れていることだけが良い時代ではなくなっている。そうしたときに、こうした歴史あるひっそりとした場所にこそ価値が出て来る時代がくるはずだし、きてほしいと願うばかりだ。しかし、そんな霊泉寺温泉の温泉街も、かつては8軒ほどあった旅館も、いまや4軒ほどにまで減少している。全国には、ここのような歴史ある温泉街はあるのだろう。そうした温泉街が、年をますごとに次第に減っていき、最終的に温泉街自体をたたまないといけない時代が来るのかもしれない。たたんだ後に名残を惜しんでも意味はない。いかにして持続できる形を模索するか。使う側自体も考えなければいけない。

時代の速度は、そこにいる間は自分がその速度に翻弄されていることに気がつかない。一度、その速度と違った速度の環境に身を置くことで、自身を客観視することができる。こういう時代に、日々の喧騒や世の中が慌ただしくなっているときに、こうした旅館に泊まれたこと自体がなんだか嬉しかったのと、こういう旅館の価値を良いと思ってくれる人たちが少しでも多くなってくれることを期待したい。そこには、どこか忘れかけていた何かがある気がしてならない。また、時間を作って泊まりに行きたい。

さて、2016年も終わりお迎えつつあるのですが、2017年は個と思考の一年にしていきたい。自分自身の五感で感じ、思い、思考したものを、丁寧に言葉にしていくこと。世の中が激しく揺れ動く時代だからこそ、自身の軸を持ち、自身の言葉で言語化していくこと。時代性と呼応しながら、過去と未来のなかにある言葉にできない何かを言葉にしようと模索すること。そこにある文学と思考を大切にしていく年になれば。

これから、大晦日を長野の善光寺で迎え、年越しそばを食べながら年を越していく。

みなさんも、良いお年をお迎えください。