「先見日記」

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Designing ours』を編集したのをきっかけに、いろいろな方とお会いする機会を得た。彼と二回りも年が違う自分は、受け継がれるご縁に感謝するとともに、生前彼が行ってきた活動や言動を改めて知り、そこからいくつもの学びを得ている。

先日、渡辺さんがかつて連載していた「先見日記」をご紹介いただいた。NTTデータが運営するサイトに、渡辺さんだけでなく、赤瀬川原平、駒沢敏器、坂本龍一、港千尋、片岡義男、いとうせいこう等、さまざまな識者が日替わりでエッセイを書くもので、だいたい800字から1000字程度が目安の文章のため、読みやすく、トピックもバラエティに富んだ内容になっている。

2002年から2008年の6年間運営された「先見日記」は、今なおウェブサイトで閲覧することができ、識者たちの息吹を感じさせる。写真に写っているのは、その6年間の軌跡のなかから、セレクトされた日記がまとまっている冊子で、その冊子をいただく機会に恵まれた。

「先見」と名付けているように、それぞれの識者から見た世界のなかで、「ちょっと先」のことを思い、考えることをテーマにしたものは、今読むと書かれているトピックの時事性そのものは古くとも、識者それぞれの視点から物事をどう捉えるかを感じることができる。

そこで描かれているのは、「国」や「社会」といった大きな物語ではなく、個々人の視点のなかで、日常の小さな機微を捉える「小さな物語」のなかから、「ちょっと先」のことを感じさせる内容になっている。2002年から2006年の当時の人たちが書き記したものから10年以上がたち、今読んでもその本質性は色あせないどころか、その文章はワインのように熟成され芳醇な香りを醸し出している。

翻って、いま私たちは、そうした色褪せない文章を書き残せているだろうか。口触りよく、読みやすいけれども、インスタント的で、軽い文章ばかりではないだろうか。ネットに文章を載せることが当たり前になった時代、かつての原稿用紙◯枚という制限された文字枠、かつ、文章を打ち込む作業そのものにも時間がかかる時代だったからこそできた、文章の圧縮性や重みを忘れているのではないだろうか。

いまの時代だからこそ、「先見日記」のような視座を持って書き記す場所が必要なのではないだろうか。「本」は、こうした時代を経て受け継がれる言葉を見つけるのに最適なものだ。かつ、手渡しだからこそ、渡す相手と受け取った者との関係性が紡ぎ出される。

「先見日記」の冊子を読みながら、10年以上前に彼らが考え、描いた未来と現在との差分に思いを馳せながら、これからのことについて今私たちが何を考え、行動するかが問われている。10年後の人々たちに、いま私はどんな言葉を残すのだろうか。