見巧者を目指して

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あらゆる産業、文化、業界において、それらをより良いものにしようと下支えしてるのは、その分野に精通している人物ではないだろうか。

芸能の世界で、芝居などを見慣れてて、見方の上手な人のことを「見巧者」と呼ぶ。よく歌舞伎などで間の手をかけたり「よっ!〇〇屋!」と叫んだりする人がまさにそれだ。

見巧者は、ある意味でその分野に身を費やしてると同時に、その文化が廃れていくことを良しとせず、常により良いものにしようとする姿勢がある。そのため、新人らに対して時には厳しい声をかけ、時には芸を褒め称え役者を伸ばしていくこともしばしある。

講談師神田松之丞の演目の一つである『中村仲蔵』は、見巧者によって名役者が見出された物語である。役者を目指したとある少年が、由緒ある家系出身ではない者(いわゆる「血のない役者」)は大した出世ができないと高齢の俳優に諭されるも、野心と反骨心を胸に底辺から這い上がろうとのしあがっていくというもの。

物語後半、『仮名手本忠臣蔵』の上演にあたり五段目弁当幕での斧定九郎役を当てられた中村仲蔵。弁当幕とは、お客さんがお弁当を食べる時間帯に行う演目で、長時間の上映におけるいわゆるダレ場。客は芝居をほぼ見ずに弁当に夢中になるため、役者にとっては軽い幕をやらされる屈辱的なの役回りだ。

ところが、この役回りをうまくやることで周囲を見返そうと考えた中村仲蔵は、新しい斧定九郎を演じるためのヒントを血なまこになって探っていく懸。そして、ある出来事から光明を得、これまでにない斬新な斧定九郎を演じてみせたのだ。しかし、あまりに今までの芝居とかけ離れすぎた内容に、見物衆は驚き一言も発せないでいた。その様子をみた中村仲蔵は「自身の芝居は失敗したんだ」と落胆する。

しかし、芝居小屋の外でばったりとその芝居を見た老人とその友人との会話に遭遇する。よくよく聞くと中村仲蔵の芝居を大絶賛しているのだ。老人見巧者は、幼少期から芝居を見てきたなかで段々と目が肥え、次第には「先代が、いや先々代が良かった」などとと言うようになる自分に嫌気がさしていた。そんな中、中村仲蔵のその斬新な斧定九郎の役回りを目の当たりしたことで、夢中で芝居を見ていた幼い頃に戻ったような気持ちになったと語る。そして友人に対して「俺はこの役者の20年後がどうなるかは見れない。お前が羨ましい。けれど、今、この役者の芝居が見れて良かった」と評価したのだ。

その言葉を盗み聞きした中村仲蔵は感動のあまり涙し、「この人のために、明日も明後日も舞台に立ち、自分の斧定九郎を演じるんだ!」と決心する。そこから次第に、口コミが広がっていき、あれよあれよという間に中村仲蔵の芝居に惚れ込む人が増え、ついには名役者としてその名を轟かすようになる。

「中村仲蔵」の生い立ちや物語が神田松之丞それ自身とオーバーラップしてしまうことも相まって、神田松之丞の演目のなかでも評判の高い演目である。役者が持つ才能と日々の努力があり、そして、その芸を評価し、彼を高みに押し上げんとする「見巧者」たち。芸の作り手と芸の鑑賞者との絶え間ないやりとりによって、芸能それ自身が日々昇華され続けていく。

人物としての評価だけでなく、あくまで芸としての出来具合を純粋に評価し、そして、時には脈々と続くこれまでの文脈においてどのような評価ができるかを語る、批評家としての側面も持つことで、真の見巧者となりうるのだ。

しかし、見巧者としての玄人がゆえの良さもあれば、時には玄人が業界を衰退させる原因にもなる。新人や若い者が基礎的なことを理解していないことに対して、「お前はこんなことも知らんのか!」と指摘することで、相手を萎縮させたり、新規参入を阻む要因になることもある。それによって、結果的に業界そのものの新陳代謝が起きず衰退してしまうことは多々ある。

若い人、新しい世代は、時に歴史を踏まえず、時に歴史を知らないがゆえに「車輪の再発明」をしてしまうこともある。そうした時に「昔はこうだった」「こういう失敗があったから気をつけろ」と叱咤激励しながら教え導く先達としての役割があるだろう。

初歩的なことや基礎的な知識や経験が欠けてるときに「いろいろと手解きし、面白さを伝えてやろう」と考え、面白さや奥深さを上手に誘うのが本来の見巧者の存在であるはずだ。

もちろん、時には厳しく指導することも必要だろう。自分もかつて先達から受けた経験を踏まえながら、愛ある手解きによってうまくバトンを渡すことによって、文化は永続していくものだ。

「見巧者」はあらゆる分野で存在するし、必要な役割である。私自身も見巧者の端くれになれているだろうか。物事への審美眼を持ち続け、そして新しい世代への手解きをしていくために常に見巧者としてのあり方を心がけたいものだ。